私の力が及ばず、落選という結果になりました。多くの皆様に支えて頂いたにも関わらず、皆様の期待に応える事が出来ず、申し訳ありませでした。皆様にいただきましたご声援とご協力を無駄にはしません。ありがとうございました。


人を助けられるのは、最後は、 「人の手」だけだった。

 阪神淡路大震災のとき、私は19才の自衛官として現地に派遣され、連日、焼け落ちた瓦礫の下からの人命救助と遺体の捜索に当たりました。その後、自衛隊を退官し、自動車部品の配送、コピー機の営業、ラベル工場の生産管理と職を変えてきました。職を移った理由は、減給であったり、リストラであったり様々でしたが、その度に誰かが私を気にしてくれ、次の仕事につなげてくれました。


 阪神淡路大震災のことは今でも思い出します。黒々とした煙が空に上がる背筋が凍るような状況の中で、経験したことのない感情のなかで、私は、人を救えるのは、結局、人の手なんだと感じていました。私が生きてこれたのは、「大丈夫か」と差し出してくれた手、さり気なくも温かい人の好意でした。

私たちは人口減少と少子高齢化の中で、限られたお金の中で生きていかなくてはなりません。私を受け入れてくれたこの阿見町も同じです。お金のことだけを考えれば困難は増すばかりです。それでも人には人を助けたいという気持ちがあります。


 行政は、目の前の生活に追われる私のような人間にとって味方ではありません。役所で働く人達の気持ちは、私たちと変わらないはずです。壊れ始めているのは、その人たちの気持を殺してしまう制度と社会です。阪神淡路大震災から25年がたった今、当時と比べ社会の分断は明らかに進んでいます。

「助けて」と声に出すことができずに生活をしている人は確実に増えています。だから、私はこの度、私のような者こそが政治に場にでなければならないと決意を固めました。